
2022年4月23日。
飛騨高山 清見町大原地区の『大原カタクリ群生地』。
この時満開でした。
なんと“白い”カタクリの花も発見。


文章:関西多久美
イラスト:関西恭子
※この記事は2008年6月2日に発行した、木童工房の近況を伝える「夏虫の谷から」木童工房かわら版をブログ用に訂正したものです。
飛騨地方では遅い春が終盤を迎え、生きているのだぞという地球の意思表示なのでしょう、もろもろの植物が勢いよく葉をしげらせています。
春になると例年、自宅の庭に記憶にない花が咲き出し、驚かされます。何のことはない、昨年いきあたりばったりに球根や苗を植えておいたのが、時節到来で花を咲かせたのです。
私は植えたことも花の名前も忘れているのですから、ただ驚くばかりです。
これも春がくれる特別のプレゼントのようで、大変うれしいものです。
田んぼに水がはられ、突然巨大なダムが出現したように水面が見渡す限り連なります。
田植え前なので、周りの景色が水面にプリントされたように鮮やかに映っています。
特に月の明かるい夜の田に映る景色は、夢かまぼろしかと迷うほど美しいものです。善と悪、本音と建て前、表裏一体。
毎年幻想的な景色を見ながら人の世の成り立ちを考えてしまいます。
4月28日、今年もまた91歳の母を長野県駒ケ根市で開かれた同窓会に連れてゆくことができました。巳午会が発足して50周年という記念すべき会でした。今年は10名の方が集まりました。当然のことながら、毎年出席者は減っていきます。
会は盛況で「信濃の国」や「校歌」を大声で歌って、賑やかで温かい会話のはずむ素晴らしい宴席となりました。会に集まったお年寄りの共通点は、声に張りがあり眼がきれい。そして足が丈夫。なによりも性格が明るいなどなどです。
私の母はどれにも当てはまらないような気がしますが、ご先祖様から長生き遺伝子をもらってきたのでしょう。まだまだ元気です。
母は長男がすべてという封建的な考え方の人で。かつて、嫁に行った娘なんかに世話になることなどみっともなくてできないと豪語しておりました。しかし思いと反対が現状です。母を見ていて、私は娘達に頼んでいます。「私が年をとって何にもできなくなったらお願いネ」…と。
妹が映画「慕情」のビデオテープを貸してくれました。17歳のころ、初めてこの映画を観て、劇中のワンシーンが悲しくて思い出しては泣いていたほど感動した作品です。
1949年英国領香港を舞台にした、混血の女医と新聞社の特派員の悲恋物語です。
ハン・スーインという実在した女医さんの著作を元に映画化された物語でいわばノンフィクションに近いものです。映画の主題歌はアルフレッド・ニューマン。その甘くせつないメロディは今でも大勢の人々に愛されています。
この映画にすっかり魅せられてしまった私は、チャイナカラーの洋服を好んで着るようになり、ついには神田の古書店街で偶然映画のシナリオを見つけて夢中でセリフを覚えました。大学生のころです。
今、60歳になって改めてこの映画を観ますと主演のウィリアム・ホールデンとジェニファー・ジョーンズがすごく大人だったんだなぁと気づきました。そして高校生の時、胸がはりさける程の悲しみを感じた場面。
女医のハン・スーインが朝鮮戦争で死んでしまったマーク・エリオットから届いた手紙を握りしめてつぶやきます。
「彼は死んだけれども、彼の手紙は私の元へ次から次へと届く One by one」
そしていつもデートをした丘に来てマークのまぼろしを見ます。
「Give me your hand」
やはり泣けました。
17歳から60歳まで43年間。楽しいことより苦しいことの多い私の人生でした。その間心の中に知らず知らずためてしまった汚れた感情の「どろ」の奥に、わずかな量の清冽な水の流れがあったことをこの映画が教えてくれました。
浅田次郎著 「天切り松 闇語りシリーズ」
第一巻 闇の花道
第二巻 残侠
第三巻 初湯千両
第四巻 昭和侠盗伝
読み出すと止まりません。歴史の流れも分かりますし、何より登場人物がとびっきり魅力的です。
「木の素顔展」という題で岐阜のアクティブGで展示会をさせていただきました。仕上げはオイルに限定して、一枚板の小テーブルや子ども椅子。ゴーフレットスツール等約50種類以上の木の製品を出展いたしました。
木の魅力を身近な日用品から知っていただこうと私も象や魚、鳥をかたどったカッティングボードを作って出しました。以外にも好評でした。壁に飾る、お皿に使う。
お客様から沢山のアイデアを頂きました。ありがとうございました。
5月27日の朝、清見町から車で20分程行った荘川町六厩で、最低気温がマイナス0.1度という、初夏では考えられないような冷え込みとなりました。この日の国内観測地点では最も低い記録だそうです。作物の生育への悪影響が懸念されています。
今年平成20年7月5日に飛騨清見ICから白川郷ICまで25kmの区間が開通します。
25kmのうち20kmはトンネルですから景色は楽しめませんが、高山から白川郷まで45分という短い時間で行くことができるようになります。
そうなると清見町は過疎化に拍車がかかります。現に道の駅の売り上げが1/3までに落ち込んでいます。
木童工房も2〜3年前からデザインを変えたり、小物を増やしたりで方向転換をしてまいりました。オーダーでも、ささいなことからでも皆様にお声をかけていただけるとありがたいと思っております。宜しくお願い申し上げます。
平成20年、干支が一廻りしてふり出しにもどりました。今年はネズミ年です。
2008年2月6日
文章:関西多久美
イラスト:関西恭子
※この記事は2008年2月6日に発行した、木童工房の近況を伝える「夏虫の谷から」木童工房かわら版をブログ用に訂正したものです。
平成19年の仕事納めは垂井町のお客様に漆仕上げのキャビネットをお届けすることでした。12月29日でしたので、納品をした際近くの南宮大社に一足早い初詣をしてきました。
平成20年1月10日、東京の目黒駅前にお住まいのお客様に漆を塗り替えたダイニングテーブルをお納めしたのが仕事始めでした。約20年前、東京のデパートでお買い上げいただいたダイニングテーブルは、漆を塗り替えて新品のような輝きを取り戻しました。これも一つのエコ作業だと大変嬉しく思っています。
平成20年1月6日、気温は低いけれど快晴でした。
親子3人で清見の我が家から高山の町まで片道約12kmの道のりを歩きました。雪国の冬の快晴の空の色はすばらしく美しいペールブルーです。その中で真っ白に雪をまとった北アルプスが手をのばせば届きそうに堂々とそびえたっています。北アルプスを正面に見据えて私達は黙々と歩きました。帰りはバスを利用しましたが目的を成しとげた心地よい疲労感と車内の暖かさに誘われて清見に着くまでウトウトと居眠りをしておりました。
長い距離を歩いて自分の体力を確かめると、また1年間がんばって仕事に向かおうとする勇気が湧いてきます。
NHKテレビの朝の連続ドラマ「ちりとてちん」を欠かさず見ています。主人公の女優の演技がオーバー気味なのが少々気になりますが、その分、脇を固める俳優陣の演技とセリフが個性的でとても面白いのです。
主人公の父親は若狭塗り箸の職人で家の経済などは考えず、どうしたら自分の納得のゆく箸が作れるようになるか悩み苦しんでいます。
しかし彼の奥さんは、息子の将来を考えたり家の経済を安定させたいために、量産メーカーと合併してほしいとご主人に懇願します。
しかし話し合いは決裂して大げんかになってしまうのです。
同じ「物作り」をしている者として、この場面は本当に身につまされました。
・塗り箸も落語も積み重ねたものが最後に表に現れてくる。
・人生で起きることは何事も天災だと思って腹をくくれ。
・一所懸命なアホほど愛しい者はない。
ドラマの中で一日に一つは心にストーンと納まるセリフがあります。
ちりとてちんの脚本家はよほどの苦労人か、粋な人なのでしょう。
携帯ミュージックプレイヤーのテレビのCMで、おしゃれな曲が流れています。one,two,three,fourと軽快に歌う女性の声がなんとも魅力的です。
インターネットで調べると”Feist”という歌手でした。曲名もそのまんま”1 2 3 4″です。
1月28日は一日中、まるで冷凍庫の中にいるような寒さでした。清見の近くの荘川町六厩では、北海道を含む全国のアメダス観測地で最低のマイナス22.4度を示したと地元の新聞が報じたほどです。
工房のトラックとジェットヒーターは燃料の水が凍りついたのか動かず、我が家では洗濯機の排水ポンプの中の水が凍って使えなくなりました。この様子は木童工房のブログにのせてあります。
毎年のことなのですが、一月の末から節分を過ぎる数日間は天気も荒れ模様になり、気温も最低となります。冬は寒いのが当たり前なのですが、こう冷え込みがきついと暖かい春が本当に待ち遠しい今日このごろです。
昨年12月中旬、ある朝起きると右の耳が聞こえなくなっておりました。
突然のことです。めまいもして体全体が壊れてしまったように気持ちが悪く思うように動けません。
びっくりして耳鼻科にとんでいったら「突発性難聴」と診断されました。原因不明ですが疲労とストレスが重なると発症する病気らしいのです。
ステロイドとビタミン剤の入った点滴をして、2週間にわたって1日に3回の薬を飲み続けました。元の聴力には戻らないと言われましたが、今は何とか聞こえるようになりました。医師からはくり返す病気だから注意するようにと言われました。突発性難聴は初期対応の良し悪しが完治する決め手になるそうです。皆様も変だと思ったら即、耳鼻科にかかることをおすすめします。
飛騨国分寺は天平13年(741年)に、聖武天皇の勅旨で建立された大変格式のあるお寺です。このお寺で今年の2月3日、7年ぶりに地元住民による「豆まき巡行」が復活いたしました。
赤鬼や青鬼、七福神などに扮した高山市内の20名の商店主が、寺の近くの商店街に豆をまいて廻るのです。
節分の日は昔から天気が荒れて、たいがい大雪になります。私の子どもの頃は七福神に扮した人達は長靴に荒縄を巻いて巡行しました。雪で足元が滑るからです。
七福神に扮するのはたいがいは男性です。今年の弁財天はずいぶん体格の良い人で、白塗りにした顔をおてもやんのようにえどっていました。しどけなく赤い着物を着て、豆をまく様子は大変ユーモラスで思わず吹き出してしまいました。まさに「笑う門には福来たる」です。
お寺でいただいた豆を持ち帰って家で豆まきをしました。厳寒の夜の闇へ「鬼は外」。薪ストーブが赤々と燃える家の中へ向けて「福は内」。今年もまた大過なくすごせるようにと祈りながら大声をはり上げて豆をまきました。
末筆になりましたが、皆様方本年も宜しくお願い申し上げます。
文章:関西多久美
イラスト:関西恭子
※この記事は2007年10月24日に発行した、木童工房の近況を伝える「夏虫の谷から」木童工房かわら版をブログ用に訂正したものです。
一年を通じて気温の低い飛騨地方では、数年前まで「ひがん花」の咲いているのは見たことがありませんでした。
しかし最近では、畑や田んぼの畦道などに群れて咲くひがん花の姿が目立つようになりました。地球の温暖化は確実に進んでいるように思えます。
9月5日から9月9日まで開かれました飛騨木工連の家具の展示会は、お陰様で好評のうちに終了いたしました。
飛騨の木工会社の家具のデザインは最近、ほっそりした感じのものが多くなってきました。
そういった傾向の中で、木童工房は庶民的な雰囲気を持つ軟らかい線で構成された家具や小物を展開いたしました。
3名の社員が大変がんばってくれて、私達のイメージ通りの製品を作り上げてくれました。
丸座のアンティーク風のスツール、座編みの子ども椅子。5cmもある厚い一枚板の天板を持ち、足元にこだわりを見せたデスク。いずれの製品も、木童工房の特色である手加工をたっぷり盛り込んで作ってあります。
期間中、思いもかけず沢山のお客様がおいで下さった為、私共がびっくりしてしまい、対応が行き届かず失礼なことが多々あったかもしれません。
紙面をお借りして、改めて御礼とお詫びを申し上げます。
飛騨地方では「なつめの木」が多く植えられています。
秋になると「なつめの実」を生でかじったり、煮て食べたりします。
アジア地域では、中国を始めとしてなつめの実を食べる習慣があるようですが、日本では飛騨地方だけのようだと何かの文献に書いてありました。
なつめの実を水から煮て軟らかくなったこところへ、砂糖、塩、醤油で味をつけます。
そのまま食卓に出しますが、煮た、なつめの実をびんに詰めて冬の間の保存食にする家庭もあります。
なつめの甘い煮汁は咳止めになるというので、幼い頃風邪をひくと、祖母からなつめの煮汁をなめさせられた記憶があります。
10月7日愛知県の半田市に営業に参りました。その日は幸運にも半田祭りが開催されていて、31台の山車のひきそろえを見ることができました。
欅(ケヤキ)や一位の木で細やかな彫刻がほどこされた山車は、高山の屋台と比べると随分落ちついた雰囲気を漂わせていました。
10月9日、10日は秋の高山祭りがあり、10月14日は荘川村の「日本一の連獅子祭り」で30頭の獅子がいっせいに舞い踊りました。今年は3年に1度という「ひねり踊り」も同時に開催され、秋晴れの中たくさんの見物客で賑わいました。秋はお祭りがたくさんあって神様も人も大忙しです。
10月6日、7日と関市で「削ろう会」という、鉋でいかにうすく木を削るかという競技会が開かれました。その会に出席する為、ドイツからマークという23歳の青年が工房に3〜4日間滞在しました。マークは去年の10月1ヶ月間、木童工房に居て家具作りをしていきました。
今年7月、社員の山内宏俊君がドイツで行われた「削ろう会」に参加して、各国の職人と交流を持ちました。3年前にも3名の若いドイツの職人が3ヶ月ほど工房で家具作りをしてきましたが、会話にはほとんど不自由しませんでした。
家具作りという共通の仕事の中では腕前と道具の手入れのしかたが共通言語で、鉋一つ持たせて木を削らせたら、ほとんどのことが分かってしまうという、ごまかしのきかない底知れぬ怖さのある世界だと思います。
飛騨・世界生活文化センター
10月26日(金)、27日(土)、28日(日) 10:00〜17:00
飛騨家具のアウトレット市、親子での木工クラフト体験、27日(土)、28日(日)はフリーマーケットが
開催されます。お問い合わせ/(0577)37-6111
ウッド・フォーラム飛騨
10月27日(土) 12:00〜17:00 /28日(日) 9:00〜15:00
10月28日には「ひだ清見紅葉まつり」が同時開催されます。清見のクラフトはもちろんのこと、全国からのクラフトの新作が集まります。楽しくものづくりができる体験コーナーも開催されます。27日には先着45名様に苗木のプレゼントがあります。お問い合わせ/ (0577)68-3366
・木のくに ぎふ作品展 10月30日(火)〜11月26日(月)
岐阜駅 アクティブG 3F 岐阜匠(ぎふしょう)
2007年7月30日(月)
文章:関西多久美
イラスト:関西恭子
※この記事は2007年7月30日に発行した、木童工房の近況を伝える「夏虫の谷から」木童工房かわら版をブログ用に訂正したものです。
あじさいが今を盛りにと咲いています。
花の色は土地の酸性、アルカリ性でずいぶん違っているようです。
我が家の山アジサイは「富士の滝」という種類で八重咲きの真っ白な花です。
あじさいにシーボルトが最初つけた名は「オタクサ」といいます。彼の長崎での妻の名前にちなんだそうです。
皆さんは「アカショウビン」という鳥をご存知ですか。中国大陸からの渡り鳥で、カワセミに似ていますが山鳩くらいの大きさです。
外見は朱色で「ヒュルルルー」と長く続く不思議な声で鳴きます。
清見町に高速道路の建設が始まって以来、この5年間ほぼ姿を見せず寂しい思いをしておりました。ところが6月の中旬あの懐かしい声が林の中に響き渡ったのです。
急いで外へ出て姿を探したのですが、残念なことに見つけることは出来ませんでした。
アカショウビンは雨が降りそうな日に鳴きます。
今年も翌日雨が降りました。
6月5日四国高松市で行われた展示会の帰り道、関西の実家のある京都に寄りました。
高台寺に行くつもりでしたがなぜか道に迷ってしまい、護国神社にたどり着いてしまいました。
護国神社には坂本龍馬、中岡慎太郎、木戸孝允、天誅組、長州藩…いずれも幕末に活躍した人々のお墓があります。
お墓は急な山の斜面に京都市街を向いて、るいるいと並んで立っています。
幕末の混迷する政権争いの中で日本の行く末を案じ、自分たちの信じる理想の国家を立ち上げようとした人達。短い一生を全力で駆け抜けていった激しさこそ、今の日本の政治にも必要なのではないでしょうか。
お参りを終えて急斜面をおそるおそる降りてきた私達の目の前を、細長いヘビがゆっくりゆっくり横切り、草の中に消えていきました。
飛騨大鍾乳洞併設の大橋コレクション館から盗まれた100kgの金塊は北九州市で見つかりました。
複数犯の犯行で、金塊の1/3は削りとられすでに売りさばかれておりました。
残りもいくつかに切り分けられていたそうです。飛騨高山の金塊強奪事件は日本中を騒然とさせました。
私は完全な形の金塊の展示には何の興味もありませんでしたが、こんなことになるんだったら見ておけば良かったと少し後悔しています。
高山市民は無料で見ることができたのです。
6月7日、北九州市の(株)卑弥呼様御一行15名様が木童工房を見学して下さいました。
天板の”鉋がけ”の実演などを熱心にご覧いただきました。
遠方より本当によくいらして下さいました。深く感謝申し上げます。
そら豆型の可愛らしい形をした一輪ざし4種類。楢、ブラックウォールナット製です。
ブログで写真を紹介させていただいています。
野の花がよく似合います。
上代価格は税込1,260円です。
彫り有りひき出し付き
そら豆型ベンチに、彫り有り引き出し付きが新しく加わりました。
上代価格は135,000円です。
富士見市のハウズいけださんで展示会をしていただきました。
しょうしゃな日本家屋内に並べられた家具は、まわりの雰囲気とピッタリと納まって、まるで以前からそこにあったかのように同調しておりました。
ハウズいけださんありがとうございました。
暴行事件を起こし、2ヶ月間寮にたて篭っていた37歳の男は6月6日警察に逮捕され、10日間勾留されました。6月15日精神科医の父親と姉2人が東京へ連れて帰りました。
暴行を受けた関西の頸椎はまだ完治していません。それよりも社員と私どもが受けた心の傷は癒えてはおりませんし、仕事にも大きく支障をきたしました。
先月号を読んで私どもにあたたかいご支援のお便りや電話を下さった皆様、本当に嬉しかったです。
この書面をお借りしまして深く御礼申し上げます。
高山市一之町の「ギャラリー遊朴館」で、友人達と共に絵画、家具、衣類、骨董品、山野草の展示即売会をします。
「ギャラリー遊朴館」
〒506-0084 岐阜県高山市上一之町26番地 えび坂下
tel:0577-32-8883 fax:32-8893 Cafe:32-8892
営業時間/9:00-18:00(ギャラリーは10:00〜17:00)
岐阜県高山市 飛騨・世界生活文化センター
歴史と伝統の古都「飛騨・高山」から発信する「暮らしと家具の祭典」。
飛騨の家具から生まれたライフスタイルと、様々なイベントが楽しめる5日間です。
ホームページ http://www.hidanokagu.jp/event/2007/
夏虫便りのイラストを担当をしている関西恭子がパン屋さん「ノアド・ココ」にて個展を開催します。
ならびに関西恭子は高山市の男女協同参画プロジェクトの広報誌でのイラストを担当。
岐阜県高山市西之一色町3-467-2 tel/fax 0577‐36‐2312
営業時間/9:30-20:00頃まで(無くなり次第終了)
定休日:日、月曜日
2007年5月17日(木)
文章:関西多久美
イラスト:関西恭子
※この記事は2007年5月19日に発行した、木童工房の近況を伝える「夏虫の谷から」木童工房かわら版をブログ用に訂正したものです。
今の季節、朝起きると寒くて、ついストーブをつけてしまいます。
工房の近所にある小鳥峠の湿原では水芭蕉の花が山肌を埋め、荘川インターでは10万本のチューリップが満開です。
八重桜、藤の花、桐の花…。春が来るのが遅い飛騨の地では、さまざまな花々が咲き競って一大シンフォニーを奏でています。
4月8日、桜吹雪の舞い散る中。犬山祭の「車山ぞろえ」を初めて見ることができました。
「針綱神社」の境内に引き揃えられた13台の「車山」にはすべて「からくり人形」が備えてあり、「遊魚神」をかわきりに13台の「車山」が順に神社の石の鳥居の前でからくりを奉納します。
「車山」は高山の「屋台」と比べると比較的小ぶりでしたが、彫刻も水引幕の刺繍もそれぞれ特色があって大変個性的なものでした。
お囃子は軽やかで、どこかお座敷遊びを思わせる華やかさがあり、平野の中での人々の生活の余裕が楽の音にもあらわれているように思いました。
また「下山」に乗って太鼓をたたく子供達の背中の金襦袢は絢爛豪華で、濃尾平野で栄えた城下町の商人の豊かで大きな力を感じさせました。
高山祭りの「からくり」はどこか瞬間芸のような緊張感がともないますが、「犬山のからくり」はストーリー性があり、人形の動きにユーモアと可愛らしさがあふれ、見物する方としても大変リラックスして見ることができました。
一台の「車山」に365個の提灯を付けて町内を巡行する「夜車山」は残念なことに見られませんでしたが、からくり人形を操る繊細な技と力自慢の手古達の「車切り」、「どんでん」という大技を目の当たりにして、久々に人の力の素晴らしさに感動と興奮を覚えた犬山祭でした。
「高島屋通販 “通”」、「メ〜コレ “古民家的暮らしを楽しむ”」
こちらは現在も受付中です。
「日本の伝統逸品展」 6月1日(金)、2日(土)、3日(日)
“サンメッセ香川”にて第4回を迎えた日本の伝統逸品展。
サンメッセ香川 〒761-0301香川県高松市林町2217-1 TEL/(087)869-3333
「ピュアインテリア ハウズいけだ」 6月15日(金)、16日(土)、17日(日)
〒417-0801 静岡県富士市大淵2965-15 TEL/(0545)35-0470
今、木童工房は創立以来最大の危機とも言える事件に巻き込まれています。
2月の末頃、1匹の猫と共に「フラリ」とやって来た木工家志望の36歳の男が、4月17日。社長である関西に一方的に因縁をつけ、暴行をはたらき、ほぼ一ヶ月間工房の寮に居座っています。東京都出身で父親は医者です。
いま刑事事件として告訴していますが、警察の動きが遅いので恐怖の中での生活を余儀なくさせられています。毎日マスコミで報道される事件は我が身には無関係とタカをくくっておりましたが、道路が全国的に整備されたことによって、こんな山奥の小さな工房にも災難がおよんだのです。
それにしても、相手の男が事件を起こさなければ寮を出て行ってもらえないという警察の有り方と法律は、到底納得のできるものではありません。
関西は体調を崩し、私も娘も神経がまいっています。工房の仕事も遅れています。経済的な損失と工房に関わる人々の精神的な打撃は、工房存続への道を断つのではないかと大変心配しています。
私の母は大正6年5月8日生まれ、巳の年で今年で満90歳を迎えました。
母は長野県駒ヶ根市の出身で68年前、22歳で高山の父のもとに嫁いできました。
足が少々不自由の他は、体はいたって健康です。
ただし、この3年程前から認知症と思える言動が現れてきています。
母の毎年の最大の目標は小学校の同窓会に出席することなのです。特に今年は記念すべき50回目の同窓会ということで、私と娘の2人が2泊3日母に付き添いました。
駒ヶ根高原の西山荘に集まったのは男性6名、女性7名あわせて13名の方達です。
皆さん素晴らしく元気で、共通している特徴は体格が小柄ということです。
食欲も旺盛、よくおしゃべりをして明るい笑顔が印象的でした。
13名×90年=1170年。1人1人の90歳までの1分1秒の経験を拾い上げたら、宇宙の神秘より深いものがあるに違いありません。
私は同窓会ではいつも1人1人にたくさん写真をとってさし上げています。
去年出席された方が1人亡くなられ、私の撮った写真をお葬式に使われたと遺族の方から報告を受けました。年齢を重ねてからの写真はこのような悲しい意味も含んでいるのです。
帰路で権兵衛トンネルを抜け、木曽路を運転する私の横で、母が「来年も出席できるよう私は頑張る!」と同窓会出席への強い意欲を示しました。
しかしネェお母さん。あなたは元気でも、日々ストレスまみれで仕事をしている私が来年元気でいるという保証はないのですよ。
文章:関西多久美
イラスト:関西恭子
2007年3月19日(月)
※この記事は2007年3月19日に発行した、木童工房の近況を伝える「夏虫の谷から」木童工房かわら版をブログ用に訂正したものです。
冬らしい厳しい寒さもなく、たくさんの雪も降らず春になりました。
我が家の庭に咲いたクロッカスの花は茹で過ぎたアスパラガスのようにしょぼくれた姿で咲き始めました。
例年ですと雪の中から花を咲かせるクロッカスは少ない太陽の光を必死にためこんでそのエネルギーを爆発させたような美しさとたくましさがあります。
人間も含めて地球上に生きるものには厳しさは必要不可欠な試練なのかもしれません。
高山の「雛まつり」は4月3日です。
昭和の20年代頃まで”ひな様見しとくれ、おぞても褒めるに”と歌いながら子供達が隣近所のお雛様を見せてもらい、訪れた家々でお菓子をいただくという風習がありました。
まるで外国の「ハロウィン」のようですね。(ハロウィンでも「トリック・オア・トリート」というフレーズを呼びかけながら子供達がお菓子をもらい、家々をまわります)
ただ今高山市内では「飛騨高山雛まつり」というイベントが開かれています。
市街地各所で土雛、古今雛、明治雛から現代のひな人形まで数々のひな人形が展示されています。ひな壇には決まって”浅葱(あさつき)”が飾られます。
また4月3日には飛騨一宮水無神社で「飛騨生きびな祭り」が開かれます。飛騨一円から選ばれた未婚女性9名が生きびな様に扮し、行列や餅まきを行います。
1994年、日本インテリアデザイナーズ協会によって明治初期から1993年までに日本でデザインされ、製作された木製の椅子108脚が選ばれました。
その中の一脚に選ばれたのが木童工房の「コシカケ」です。
今は亡き兄の関西冬樹がデザインをし、弟の春樹がラフスケッチ1枚を渡されて形にした椅子です。
この椅子が今回、高山の「飛騨・世界生活文化センター」に展示されることになりました。
3月23日の納期に向け、ただ今関西春樹はフル稼働です。
1958年から1960年代、ロックシンガーのビッグスターと言えば、アメリカの「エルビス・プレスリー」。イギリスでは「クリフ・リチャード」でした。
「ヤング・ワン」、「サマーホリデー」、「コングラチュレーションズ」。
団塊の世代の人々が聴けば目頭の熱くなるようなヒット曲を次から次へと飛ばした名シンガーです。
そのクリフは現在66歳。6度目の来日をして、2月18日パシフィコ横浜・国立大ホールでコンサートを開きました。
今の経済状況ではコンサートに行くのはとても無理とあきらめていましたら、私の妹が私達家族にチケットをプレゼントしてくれました。それもS席です。
本当に嬉しくて子供のように指折り数えて2月18日を待ちました。待つ日の方が楽しいとはよく言ったものです。
2時間半のコンサートは夢心地の中でアッという間に終わりました。しかし今まで4回見た中では最高に素敵なクリフ・リチャードでした。
66歳とは思えぬダンスと歌声。ビッグスターといわれる人の実力と魅力にまさに酔いしれ圧倒されました。
初めて見た夫と娘の感想は意外にも「初々しくすがすがしい魅力の持ち主」ということでした。
クリフは過去のヒット曲も歌いましたが、若い時代のクリフと比較して私達をがっかりさせるようなことはまったくありませんでした。
そして何よりもすばらしかったのは老いてゆく未来の輝かしい希望をクリフは歌とダンスでたっぷり観客に魅せてくれたことです。
・酒蔵めぐり 1月11日(木)〜3月31日(土)
・飛騨高山雛まつり 3月1日(木)〜4月3日(火)
・我楽多市(骨董品市) 4月〜10月のあいだの第一日曜日
・飛騨生きびな祭り 4月3日(火)
・春の高山祭り(山王祭り) 4月14日(土)、15日(日)
名古屋テレビのネットショップです。小物を含め11品目が紹介されます。
漆の小テーブルと漆塗りの椅子。漆塗りそら豆テーブルと漆塗りそら豆型スツールひき出し付き。4点が紹介されます。
2007年1月30日(火)
文章:関西多久美
イラスト:関西恭子
※この記事は2007年1月30日に発行した、木童工房の近況を伝える「夏虫の谷から」木童工房かわら版をブログ用に訂正したものです。
2007年が明けました。
皆様、今年も宜しくお願い申し上げます。
一月七日 七草
今年は暖かいといっても飛騨では春の七草は揃いません。我が家は乾燥の七草を味噌汁に入れました。
飛騨市古川町では200年以上も前から親鸞聖人の遺徳をしのびながら、町内に点在する「円光寺」、「真宗寺」、「本光寺」を巡拝する宗教行事が続けられています。
伝統的な宗教行事も昨今では、縁結びを祈願するという若い人たちの率直な祈りの場として市内を流れる瀬戸川には千本ものロウソクが灯されていました。
今年は雪も少なく穏やかな三寺まいりの宵となり、たくさんの老若男女がそれぞれの願いをこめて、敬虔な祈りをささげておりました。
雪国では雪の降り止んだ朝、ウサギやイノシシ、その他の小動物の足跡が沢山ついていてまるで意図してつけられた模様のようでそれはおもしろいものです。
ところが1月中旬今まで見たことのないような大きな足跡が我が家をとり囲むようにくっきり残っていました。肉球もはっきりわかるし「熊だ!」とあわてて役場に連絡しました
しばらくすると役場の課長さんが来て下さって念入りにその足跡を調べて下さいました。結論は大型犬のもの。
田舎なので鎖を外され自由にあちこち散歩している犬が、我が家の敷地に入り込んだようです。
二十四日市は高山市内の本町通り商店街で1月24日に開かれます。
旧暦時代には、年末の12月24日に開かれていて正月用品を売買する市でした。
今年出店した露店は一般的な商品を商う店だけでなく、1月19日に国の重要無形民俗文化財の民俗技術に県内で初めて選ばれた「江名子バンドリ」、久々野町の伝統工芸「有道しゃくし」、「小屋名しょうけ」等の店が出て、製作実演販売もあって大勢の人たちで賑わいました。
“わら”と”シナの木”で作られる”みの”です。
着用した姿が動物のムササビに似ています。
ムササビは方言で”バンドリ”と呼ばれています。
手作りのため価格は2万円ですが、大変丈夫です。
朴の木で作られています。
大型と小型があります。
200年前から伝わる竹細工で野菜の水切りや米上げなどの台所用品として使われてきました。
私が6つのとき、父親から買ってもらった押絵の羽子板を正月から玄関に飾っています。
桐の木でできていて、おかっぱで着物姿の女の子が人形を抱いている押絵がついています。持ち手には赤いベッチンが巻いてあって振ると鈴の音がします。羽子板の裏には梅の一枝の絵が描いてあり、隙間のないほど羽根のあたった丸いくぼみがついています。
羽根をついて遊んでいた6つの私、今の私は58歳。年を取っているだけで同じ人間にはまちがいありませんが、他人のように感じられるのはなぜでしょうか。
大晦日に飾った、正月のための生け花のチューリップの花びらが25日の朝、ハラリハラリと落ちて芯だけになってしまいました。
松は青々として正月のままですが、確実に散る花々は時の経つのを身をもって教えてくれています。もう1月が終わろうとしています。
文章:関西多久美
イラスト:関西恭子
2006年12月5日(火)
※この記事は2006年12月5日に発行した、木童工房の近況を伝える「夏虫の谷から」木童工房かわら版をブログ用に訂正したものです。
11月7日に初雪が降りました。
長く寒い冬の本格的な訪れを告げる初雪です。
今から10年ほど前、木村さんというロクロの名人に椅子の脚の加工をお願いしたことがありました。
八畳二間ほどの大きさの工房の入り口に机が置いてあってその上に女性用と思われる、古い小箪笥が乗せてありました。桐材で出来ていて小さなひき戸には折り鶴が五羽ぞうがんしてありました。
私はこの箪笥(たんす)に一目で魅せられてしまいました。昔、高山の遊郭(ゆうかく)と呼ばれた旅館にあった品だそうです。
私が木村さんの工房に行くたびに箪笥を褒めるので、あるとき「これあんたにあげるよ」とおっしゃいましたが、欲しい気持ちを押し殺してお断りをいたしました。
それから一年ほど経って、木村さんは仕事をやめてしまわれ、その工房も取り壊されて、さら地になってしまいました。私は何よりも小箪笥のゆくえが気になって仕方がありませんでした。
工房が無くなってしまった年の5月8日高山の三町通りで開かれていた骨董市で、私はついに恋焦がれていた箪笥に再び出会うことができたのです。
古い町並みに面した通りに20軒ほどの骨董屋さんがテントを張って並んでいました。
その中の一軒の店先にあの箪笥が値札を付けられ置かれていました。
高さが61cm、幅が57cm、奥行きが27cmですからよほど気にかけていないと見つからない小さな箪笥です。私はそれを20mほど離れた場所から見つけたのです。まるで幼い女の子が小首をかしげて「私はここにいます」とニッコリ笑いかけたように見えました。
夢中でかけ寄って「待っていてくれたのね」と思わず声をかけてしまいました。
お店のご主人も何かを察したのでしょう、とてもお値打ちな価格でゆずって下さいました。嬉しくて嬉しくて、大切に大切に家へ持って帰りました。
今、箪笥の中にはアクセサリーや書き終えた日記帳と共に、私が15歳から20歳まで文通して実らなかった初恋の人の手紙の束がひっそりとしまわれています。
人の縁、物の縁。この可愛らしい箪笥を目にするたびに胸が熱くなります。
11月は飛騨地方にしては珍しく晴天の日が続きました。
我が家は雑木林の中の空き地に建っています。晴れた日には紺碧の空の色と紅葉の錦が素晴らしいコントラストを織りなして、表現できないような美しさです。
小春日和のある日、娘と共に庭で洗濯物を干していました。すると突然ドスンというものすごい音が響いたのです。
何事かと、びっくりしてあたりを見まわしましたが何も変わったことはありません。私たちはそのまま作業を続けました。
しばらくして娘が「お母さん、鳥がいる」とすっとんきょうな声を上げたのです。
足元をみると雑草の陰から体がうぐいす色、首が白、頭が赤い、鳩くらいの大きさの鳥がよろよろと現れたのです。
意識がもうろうとしているようで、くちばしが半開きで長い舌が見え隠れしています。私たちがそばに寄っていっても逃げません。
「何だろう?」私達は遠まきにして鳥の様子を観察していました。
10分くらいそのまんまの状態でフラフラあるいていた鳥は突然意識が戻ったのか、雑木林の中に猛烈な勢いで飛び去りました。
あとで生き字引のような社員の日並君に尋ねてみると、どうやら「アオゲラ」らしいということで鳥の正体が判明しました。
アオゲラは何か悩み事でもあったのでしょうか、ボンヤリ飛んでいて我が家の壁に激突したのでした。
天高く馬肥ゆる秋です。何はなくとも健康であることは深く感謝しなければなりません。
どこの市町村でも必ず年一回、検診車での検診が実施されるようになり、病気の早期発見につながっています。
清見町が高山市に合併される前、まだ清見村と呼ばれていたころのお話です。
例年のごとく健康診断の検診用紙が一戸一戸の家庭に配られました。
この用紙には自分の受けたい検査の項目に丸をつけるようになっていました。
ある農家のおじいちゃん、お嫁さんに向かって烈火の如く怒ってわめきました。
「わりゃなあ、おりが早く死ねばいいと思ってるんだろう!」
「何のことでしょうか?」
「検診のことやさ!」
「お義父さん。胃、肺、血液検査、必要なところには検診を受けられるよう丸をつけましたよ」
「一つ抜かしてあるものがあるぞ!」
「そんなことはないと思うんですが」
そのおじいさん、用紙を取り出しその中の一つの項目を指差してまたまたどなりました。
「なんで”こみやがん”の検診に丸がつけて無いんや!」
お嫁さんびっくりぎょうてん。
「お義父さん、これは子宮がんの検診です。お義父さんは女性だったんですか」
本当にあったコワーイお話です。
一年間のご愛顧心より厚く御礼申し上げます。
皆様方が良いお年をお迎えになられることを心よりお祈り申し上げます。
文章:関西多久美
イラスト:関西恭子
2006年10月26日(木)
※この記事は2006年10月26日に発行した、木童工房の近況を伝える「夏虫の谷から」木童工房かわら版をブログ用に訂正したものです。
第3号
2006年10月26日(木)
錦秋という言葉そのものの美しい山々の紅葉が日一日と進んでいます。落葉も始まり、朴の木のような大きな葉の落ちる音は人の足音のようです。秋風は弦楽器のように木立を揺らして流れてきます。
馬頭琴はモンゴルの擦弦楽器です。日本では”スーホーの白い馬”という童話で有名になりました。四角の箱形の胴体を膝ではさんで弓を当ててひきます。弦は数十本の馬の毛をたばねたものが2本ついています。
この馬頭琴の演奏を10月14日秋声寺というお寺できくことができました。演奏者は内モンゴルの出身で日本在住12年のリポー氏です。
1時間30分ほどの演奏会の中で、チョールと呼ばれる馬の皮で作られた古典的な楽器で演奏された曲が印象的でした。
内モンゴルの人々は羊や馬、ラクダを飼って生活しています。
ところが若いラクダがこどもを生んでも上手にお乳を与えられないケースが多々あるのだそうです。内モンゴルに生活していたリポーさんはラクダの飼い主に頼まれて、この古い楽器でこの曲を若いラクダの耳元で弾きます。すると、そのラクダが大きな眼から涙をポロポロ流し始めます。やがてラクダは上手にこどもに授乳を始めるのだそうです。
これは内モンゴルの遊牧民の生活の知恵ということでした。
10月21日(土)、22日(日)の両日、清見で全国クラフト展が開催されました。地元のクラフト工房と他府県から参加したクラフト工房、合わせて約50工房が参加しました。
秋の収穫祭と共に行われたので来場者は多かったのですが売り上げは低迷しておりました。やはり野菜や飛騨牛の前ではクラフトはたちうちできないのでしょうか。
ただとても嬉しかったことがありました。弊社の製品をご愛用くださっているご夫婦が神奈川県からおいで下さいました。
お元気なお顔とユーモアたっぷりの会話の中で弊社の椅子がどの会社の椅子よりも座り心地が良いとのお褒めの言葉をいただきました。ありがとうございました。
10月16日深夜12時半頃自宅へつながる坂道に車でさしかかると前方を中型の犬くらいの大きさの子グマが横切りました。どこかに親グマがいると思うと動悸が速くなり、あわてて家にかけ込みました。
飛騨地方では熊がひんぱんに里へ出てあばれています。
京都の知恩寺で毎月15日に開催されている「手づくり市」はすごいです。一つの店舗は約一坪のスペースで、なんと400軒ものお店がでています。
木工、布クラフト、陶器、コーヒー店、漬け物屋など。面白いものでは指圧をしている方がいて、「あーあ、これも手づくりだなぁ」と納得しました。しかしこの物作りに対する人々の膨大なエネルギーはどこから湧いてくるのでしょうか。信長の頃の楽市楽座の熱気もこのような感じだったのでしょうか。
お客さんの好奇心を100%満足させるとても楽しいクラフト市です。
我が家は雑木林に囲まれています。知り合いの大工さんがやってきて、キノコ採りに連れて行って下さいました。
歩いて2-3分の林の中に食べられるキノコがたくさんはえていたのでびっくりしました。毒キノコと食用のキノコの区別がつかない私は、秋の自然の恵みさえ知らずに今までたくさんの秋をやりすごしていたのです。
これからの展示会の予定がありませんのでどなたかお声をかけて下さい。
お願いします。